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一周忌



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今日から明日に日付が変わるか変わらないかという微妙なタイミングで、グリコが旅立ってちょうど一年。


愛するペットちゃんが亡くなることを「虹の橋を渡る」とか、うさぎの場合は「お月様に帰る」とかいう言い方をするらしいが、あまりにメルヘンチックすぎて照れてしまい、どう表現したらいいかいまだに迷う。
ただ、メルヘンの世界でなくてもいいから、どこか居心地の良いところにいてくれたらいいと思う。


部屋の片隅に、グリコの仏壇がある。
片隅といってもテレビの真横でたいそう騒々しい。
うさぎは耳がとても良いので騒々しいと落ち着かないかと思っていたが、部屋が静かだとちょっとした物音にも耳をレーダーのようにういーんと動かして、寝てても覚めてしまうようなかんじで、逆にテレビの音ががんがん流れているくらいのほうが寛いでいるようだった。
生前がそうだったので、仏壇の置き場所もここにした。

普段は思い出したときに水を置くぐらいでこれといって何もしていない。
でもせっかくの一周忌なのでなんかそれっぽいことをしてやりたくなり、好物を供えようと思ったけど何も思いつかない。
晩年療養食としてよく与えていた小松菜でも供えるかと思ってスーパーに寄ったら、ちょうどお盆のお供えが売ってたので一緒に買ってきた。
ついでに今日職場でもらったお土産のドーナツも置いてみた。
急に所狭しな仏壇になり、迷惑そうなグリコの顔が浮かんだ。


良かれと思って買ってきたおやつとかおもちゃとか全然喜ばないうさぎだった。
毎日毎日同じがいいんだからよけーなことしないでくれる、といった冷めた風情とファンシーな見た目のギャップがたまらなくて、私は9年と9か月の間ずーっとこの生き物に魅了されっぱなしだった。
毎日毎日飽きもせず、かわいいねーかわいいねーと声をかけ続けた。かけずにいられなかった。だってかわいいんですもん。
いっこうに懐かず、デレの割合が3%くらいでほぼツンだったけどほんと全くかまわなかった。

あ、なんだろうこれ、これが無償の愛というやつなのか?
部屋着をボロ雑巾にされてもおしっこひっかけられても憎くない。元気で暮らしてくれればそれでいい。

人間相手ではついぞ感じたことのなかったこの感情にちょっと戸惑いながらも、悪くはないと思い、自分をうさバカと認めることになった。

しつけというものが全く通用しなかった。
おしっこの場所は最後まで定まらなかったし、呼んでも振り返るということが一回もなかった。
ただ、一度怖いと思ったことは二度としないし(それで行動範囲がどんどん狭まった)ご飯の時間はペレットの袋に触れたほんのわずかなカサという音も聞き逃さずダッシュで寄ってくる。
学習能力があるのかないのか、でも総じてバカだなという認識だった。バカかわいいと思っていた。



一年前、私はこれまでの人生の中でもなかなかな大きさの決断をするに至り、その夜はちょうどその決断を形にするためのある作業をすることになっていた。
(回りくどい言い回しが自分でもうっとおしいが、直接的な言葉は生々しいので避けます)
それはグリコの生活にも少なからず影響を与えるようなことなので、変化を嫌うグリコの生活になるべく支障をきたさないようにいろいろ段取りを考えた結果、平たく言えば私はグリコと離れて暮らすことがもう決まっていた。


グリコは危ないことはしないようにそっとそっと生きていたので、病気はしてもケガはしたことがずっとなかったが、老いなのか何なのか、ある日いつの間にか前脚を骨折していて、そのせいでだいぶ日常生活に支障をきたすようになっていたけどもりもりご飯も食べていた。ペレット袋カサッからの猛ダッシュも健在で、今日明日の命とか、そんな雰囲気はまだまだなかったと思う。


なのにその夜、帰宅して、さあこれからその作業をしよう、というちょうどそのときに突然ぱたりと倒れ、深夜往診の先生の到着を待たず1時間ほどで逝ってしまった。

その狙いすましたようなタイミングがあまりにも衝撃的で、もうグリコとの生活は終わってしまったというのに、この期に及んでこのバカかわいい(と思っていた)小動物への認識ががらりと覆ってしまった。
あの時のアレもその時のソレも、あの時していた話も、全部聞いていて理解していたのではないか、ちょっとオカルトなかんじがするがもうそうとしか思えなかった。


そのタイミングでのその死の意味は、どちらにも捉えることができた。
寂しいと死んじゃうんだよ、というのり〇ーの言う迷信を地で行ったのであれば、人間の都合で本当に悪いことをしてしまったと悔いるしかないし、
勝手な飼い主の後顧の憂いをなくすためにジャストのタイミングですっぱり逝ったのであれば、やっぱりごめんではあるけど、なんていうか、もう尊敬してしまう。


事実、私は思っていたより落ち込まなかった。
人生のそれなりに大きな決断も、グリコの死も、それぞれ別のタイミングで訪れたらそれぞれに対してもっとどっぷり落ち込んでいたと思う。
ペットロスに関しては最低2週間は寝込むんじゃないかと予想していたくらいだ。

それが、いっぺんに来たことでダブルの衝撃になるかと思いきや、なんかこう、相殺されてしまったというか、ポカーンとしてしまって、かといってやることは山ほどあって、忙殺されているうちに寝込む予定だった2週間なんて涙も流さずあっという間に経っていた。

だからもう、素直に感謝することにした。


グリコが逝く数日前にたまたま撮った写真がある。
お迎えのキャリーバッグから首だけぴょこっと出した様が間抜けでかわいかったので撮ったのだが、今見るとやっぱり全盛期に比べて明らかに目に生気がなく、実際その数か月前にはケガの影響で一回危篤状態になったこともあったし、もしかしたら、あの瞬間ぎりぎりまで頑張って生きていてくれたのかなという気もしてきた。


残されたものは勝手にいいように解釈する。
でもいいように解釈することでその日をなんとか無事に生きている。それでようやく一年が経ったみたいなもんだ。
もっと面白いグリコエピソードでこの一年を総括する予定だったけど、いざ思い返すとまだまだぷりっぷりの新鮮なネタだった。
からっと笑い飛ばすのはもう少し先。

一人暮らしではうさぎは飼えないなあ、とこの10年弱で痛感したので今後新しいうさぎを迎える予定はない。
いつか迎えたとしても、うさぎの性格は個体差が非常にあるらしいので、グリコのような面白さを持ったヤツにはもう出会えないと思う。

うさ飼いではなくなったけど、これからもうさバカとして生きていくと思う。



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